登場人物紹介
田端敦彦(たばた あつひこ):
どこにでもいる普通の高校生。2年1組。165cmで体重は62kg(太目ではなく、筋肉質)。
応援部所属。 敦彦が通う高校では、野球部を始め全ての運動部に対する応援団は全校生徒であり、応援団を指揮するために応援部が存在する。
応援部は年間を通じて活動している。
如月由里(きさらぎ ゆり):
敦彦とは幼馴染だが、ずっと仲が良かった訳ではない。2年5組。
ボーイッシュで、152cmという小柄な体を気にしているが、幼児体形という訳ではない。
水泳部と軽音楽部に所属し、家に帰っても趣味はギターで、エレキもアコースティックも器用にこなす。 料理は上手。
小学校の頃、ジョニーズのアイドルグループ「ホタルヘイケ」に夢中だった。 暗いところやおばけが大の苦手。
高谷千佳(たかや ちか):
敦彦、由里の一つ後輩で、1年12組。 身長は由里よりも低く148cm。
自分が妹キャラだと言う事を認識しており、かつそのメリットを余すことなく利用している。
そのため先輩受けが良く年上からモテモテだが気取った所はなくさっぱりとして嫌味はない。
中学高校と放送部に所属しており、そっち(お昼の放送のナレーターなど)方面のファンも居るらしい。・・・・本作ではチョイ役。
「ごめんね~。 敦彦の事は嫌いじゃないんだけど~。 」
・・・・振られるとは、思っていた。 そもそも玉砕覚悟。 というかオレはコイツが他に好きな男が居る事をずっと前から知っている。 だから、結果は予想通りでがっかりしたという事はない。 いや、がっかりというか、振られてつらいってのは、当然あるのだが。
おっと、紹介が遅れたが、オレの名前は敦彦、田端敦彦だ。 Z県立高山北高校の二年。 中肉中背で成績は中の中。 いたって平凡などこにでも居る高校生。 今オレを振ったのは、高谷千佳。 憎らしいくらいに可愛く甘え上手であっという間に男を虜にするが、オレの耳に入ってきた情報の限りでは、言い寄ってきた男はことごとく撃沈した。 もっとも、たった今、このオレもご多聞に漏れずその一人となった訳だ。 かと言って、こっちは中学時代から三年間も片思いしてきたんだ。 そうそう簡単には、忘れられんよなぁ・・・・。
朝っぱらから異性に振られるのはやはり堪える。 今日の放課後に告白した方が良かったかなぁ。 朝のショートホームルームが始まる前、オレは教室の自分の机に突っ伏していた。
「アッちゃん!」
「由里ぃ・・・・頼むけん、いい加減人前でアッちゃんはやめぇよ・・・・。 」
気が滅入っている時にうるさい奴だ。 オレをアッちゃんと呼ぶ朝から元気なこのバカ女は如月由里。 子供の頃から家は近所でいわゆる幼馴染という奴だが、小学校中学校と特に仲が良かった訳ではなく、今年、高校の文化祭準備委員会でたまたま一緒になり、それをきっかけに千佳も交えてよく遊ぶようになった。 今では何でも言い合える口やかましい親友の一人だ。 水泳部の他に軽音楽部にも所属していて、なんと今年の文化祭のテーマソングはこいつのバンドが作詞作曲編曲したもので、こいつはオープニングでそれを体育館で熱唱。 学校中を熱狂の渦に巻き込んだ。 バカだがわりとすごい奴である。 一応幼馴染らしく(?)小さい頃からずっとオレの事をアッちゃんと呼んでいて、高校生になった今でもそれは変わらない。 さすがに大勢の前では遠慮してくれている所は有難いが、今日のように興奮していると忘れてしまう。 やっぱりバカだ。
「アッちゃん。 千佳に振られたでしょ~♪」
・・・・オレの腕時計が狂ってないとすれば、千佳に振られてまだ一時間も経っていないんだが・・・・。
「・・・・誰から聞いた? それ。 」
「え~? みんな知っとるよ~。 」
「・・・・あ、そ。 」
こいつは何かにつけて大げさだ。 みんなと言ってもせいぜい昔からの顔馴染み数人だろうな。 でもそれにしても早すぎる。 どこから・・・・まさか、千佳からなんて事は・・・・あるな。 あいつはそーゆー奴だ。 オレが今までの千佳号敵艦隊撃沈戦績を全て知っているのも本人から聞いたからだ。 まぁ、別に良いんだけどな。 告白した事自体を後悔はしてないし、おそらく今回オレが振られた事を知っている奴は千佳自身を含めオレが千佳を好きだと知っている奴で、今更何が伝わった所で何の影響もない。
ふぅ、教室じゃ傷心にも浸れやしない。 幸いオレの教室、2年1組は校内の隅の校舎のさらに隅、オマケに一階にある。 おかげで学校の外にも人目につかず抜け出す事ができる。
「あれ? アッちゃんどこいくの?」
「うっせー。 お前が居らんとこじゃ。 お前もとっとと自分の教室帰れ。 」
「ひっどーい! 慰めてあげようと思ったのにー!」
・・・・要らんわ、もう。
教室は抜け出したものの、結局すぐに由里に捕まってしまった。
「ねーねー、何て告白したの?」
由里はオレが千佳を好きだと知っている。
「・・・・お前、絶対面白がっとるだけやろ・・・・。 」
「そんな事なーいー。 相談乗ったげる。 」
「いやもう振られた後やし・・・・相談すること皆無やし。 」
「なーに言ってんの。 まだ好きなんでしょ? アタック! アタック! アタックチャンスじゃん!」
「んなしつけー真似できっけ~。 みっともねぇ。 それにアタックチャンスって・・・・そういうお前こそどうなん。 アタックチャンス。 」
「え・・・・えっと、あたしは・・・・。 」
急に自分の話を振られて由里が言葉を詰まらせる。 オレも由里が好きな男を知っている。 直接彼と口をきいた事はないが、由里が所属する水泳部の先輩だ。 せっぱつまっていたとはいえ、今の返しはちょっと卑怯だったかな。
お互い、よく喋るようになった時には、もう既に高校生で、要するに思春期で、異性を意識するようなお年頃で。 お互い好きな人が居て、それはもちろん片思いで、だからお互いに片思いをずっとぶちまけてきた。 オレが千佳に当たって砕ける気になったのも、由里に背中を押されたからだ。 いつまでもうじうじしたままっていうのもイヤだったオレは、玉砕する勇気をくれたコイツにちょっとは感謝しているのだろう。 そんな訳で、オレも由里の玉砕を、手伝ってやろうなんて、思い上がった事を考えているのだろうか。
「あたしは・・・・良いの。 」
「何が良いねん? 向こうさんやって後半年で卒業やろ。 」
「ん・・・・それでも・・・・良いの。 」
「・・・・そっか。 」
踏ん切りがつかないのだろうか。 まぁ、それも仕方がない事なのかも知れない。 急に妙な雰囲気になってしまい、このまま沈黙に落ちてしまう事も気まずいような気もしたけど、オレもそれ以上は何も言わなかった。
明日は10月25日。 由里の誕生日だ。 どうでも良いがオレは1月26日。 この年になって「あたしの方が3ヶ月もお姉さんやね。 」って小学生かお前は、とも思わなくもなかったが、3ヶ月もお姉さんの強制に近い要求のためオレは誕生日プレゼントを探している。
「あいつは髪短いし、髪飾りは変やのぉ。 かといってブレスレットやネックレスを恋人でもない男から貰うんも気持ち悪いやろうしのぉ・・・・。 」
ん? あれは、由里と・・・・例の先輩だ。
「じゃあ、これ、少し早いけど、誕生日プレゼント。 」
「あ、ありがとうございます。 あ、あの! あの、明日なんですけど、うちに、いらっしゃいませんか?」
「ごめんね、さすがにそれはできないよ。 ほら・・・・怒られちゃうからさ。 」
「あ・・・・そうですよね。 あたしこそごめんなさい。 ほんとに。 全然気にしないでください。 」
「ん、ごめんね。 じゃあね。 」
「はい、失礼します。 」
ありゃりゃ~。 変な場面に遭遇しちまったなぁ。 ま、良いや、面白そうやし、もうちっと観察してみよう。 あれは商店街で一番流行のアクセサリー店。 そこから二人して出てきたという事は、先輩からはアクセサリーを貰ったんだな。 しかもあれは由里の方からねだったと見た。 ううむ、やはりアクセサリーの類は避けておこう。 それにしても、由里よぉ、せっかくこの町唯一のデートコースらしい所でデートちっくな事をして、おめーそこまで持ち込んだならもっと積極的に攻めていけよな~。 人の事はわーわー言うくせに。
さて・・・・困った。 男が女にプレゼントするのに、アクセサリー以外何も思いつかないほど女心喜ばせレベルが低い自分が呪わしい。 かと言って、相談できるような女友達も由里以外に居ない。 う~ん。
「由里、17歳の誕生日、おめでとう。 はい、これ。 」
「ありがとう。 ・・・・万年筆?」
「うむ、それを使って一生懸命漢字の書き取りでも、数学の証明でも、単語帳作りでもするが良いぞ。 」
「何よ真面目さんみたいに。 お勉強がんばれなんていうプレゼントねぇ。 」
「うちの小学校5年の時のクリスマスプレゼントは鉛筆3本と大学ノートやったぜ?」
「あはは! アッちゃんのおばさんだったらやりそう! でもよー、一応男が女の子にプレゼントするんだからもう少し可愛らしいもん買ってきなさいよ。 」
「あ、ごめん、やっぱりおかしかったか? いや、オレも、もちっと色気のあるもん、とも思ってみたりはしたんやけど、何ちゃ思いつかんでなぁ・・・・。 」
「ううん、冗談だよ・・・・嬉しい。 本当に嬉しい。 ありがとうアッちゃん。 」
そう言いながら、最後の方は、本当につぶやきになりかけながら、由里はオレの肩に頭を乗せてきた。
「由里・・・・?」
「何でもないよ、何でも。 アッちゃん、ありがとう。 ありがとね。 ずっと大切にするね。 」
そのしぐさにどきどきしようかすまいか迷っているうちに、由里は頭を上げた。 本当は、本当ならここに、この位置に、先輩が・・・・。 それは、仕方の無いこと。 オレは何も言わなかった。
「ね、ケーキ食べよ。 ねぇ、ほらー、凄いでしょー。 一生懸命作ったんだよ。 」
「お前が? お前の誕生日のために?」
「・・・・悪い?」
「いや、悪くない。 いやはや、確かに、買ってきたみたいや。 ・・・・甘い・・・・。 けど、まぁ、うまいですよ。 」
「やろやろ。 お料理の腕やってどんどん上がっていきよんよ。 」
きっと、それも本当は先輩に食べて貰いたかった。 そして上手さを見せつけてメロメロに・・・・とさすがにそこまでは思ってないだろうが。 それに対しても下手にちゃちゃを入れるべきじゃないと思い、オレはその話題を避けるように、
「そう言やぁお前、確か中学校の・・・・何年の時やったか忘れたけど、バレンタインに変なチョコ貰ろたよなぁ。 なんか黄色い変なんに包まれた。 」
「あれはチョコパイだよ! ・・・・確かに、上手に膨らまんで、変なんになっちゃったけど・・・・。 」
言いながらはっきり思い出したが、確かに中学校の時にそんな事があった。 中学校の頃は一言も喋った事が無かったなんて今まで思っていたけど、本当は結構なんだかんだで付き合いあったな。 なんで忘れてたんだろうか。
季節は秋も終わり冬の初めに差し掛かっていた。
家が近いせいもあり、オレは学校の帰り、由里の家によく寄るようになっていた。
いや、誤解を招くような表現で期待をさせて申し訳ないが、あくまで由里に数学を教えるためだ。 文化祭が終わると、すぐ中間試験がある。 その中間試験で、由里の身に何かあったようで(いや何があったかは聞くまい)、期末試験が最後の砦という事で、試験対策を一緒にしてくれと由里に泣きつかれ、とりあえず数学ならと由里の勉強を見るようになったのだ。 始めは市の文化センター内の図書館で勉強していたのだが、家が近いし移動の時間がもったいないという事でお互いの家を行き来するようになった。
どこでもそうなのかも知れないが、うちの高校は1年は全員同じカリキュラム、2年以降に文系と理系、国公立志望と私立志望の4つにクラスが編成される。さらにそれぞれ成績上位者があつまる選抜クラスが一クラスある。 オレは国公立理系志望で、大してレベルが高い高校でもないので一応選抜クラスの方に入っている。 由里は私立文系志望の普通クラスだ。 由里は高校卒業後は看護学校に進んで将来は看護士になりたいそうだが、普通科しかないこの高校では文系に分類されるという事だろうか。
で、由里の数学の成績はと言うと・・・・はっきり言ってオレの目から見てもかんばしくない。 オレとしても他の教科はともかく数学なら少しは力になれるという事で、運が良かったというかちょうど良かったというか。
にしても、質問が来ない事には話にならない。 教えるにしても学校や塾の先生みたいにわざわざ自分の方から解説に行くのも、かえって邪魔な気がする。 自分の分の勉強は、数学は既に終わっているし、日本史や現代国語なんてやる気も起こらない。
「ねぇ、アッちゃん。 」
おっと出番のようだ。
「ん? どこ?」
「肩揉んで。 」
「なめとんかテメェ。 」
「ええやろぉ、揉んでよぅ。 アッちゃんてマッサージ上手って有名だよ。 」
「オレぁ数学の勉強で来よんやないんかい・・・・ほら、え? お前! なんこれ! 肩すっげーこっとるのぉ。 」
「ん、そうなんよ。 あたし、なんでかしゃん凄い肩がつらくって。 ん~きくぅ。 あ、あは、ああ、あン!」
「ユリサン? コエガエロイデスヨ?」
「やってアッちゃんのそれ凄い気持ちいいんやもん。 もっとしてぇ。 」
「由里さん、今度は言い方エロい。 」
「んな事言うたって、そう思う方がエロいんちゃうん。 あ、ああ、あんんん、そこ! もっと!」
いい加減変な気分になってしまいそうで、慌てて最後の優しいマッサージに切り替え、軽く揉んで終了する。 ちなみに、肩やふくらはぎのマッサージはもみかえしが起こるからスポーツマンはあまりやらない方が良いというのは嘘で、もみかえしが起こるようなマッサージが下手なのだ。 オレのマッサージは自慢じゃないが自他共に認めるプロ級で、様々な運動部から大会前にお呼びがかかるほどだ。
「ほら、これくらいでええやろ?」
「うん、はぁ・・・・はぁ・・・・気持ちよかった・・・・また、してね?」
「それはええけど・・・・。 」
照れ隠しに、オレは行儀悪くその場にごろんと寝転ぶ。 と、ふと由里の部屋の小さな本棚に目が行く。
「な!? おおお! こ、これは!」
これはオレと由里が小学生の頃に大人気だったアイドルグループ「ホタルヘイケ」。 を。 題材にした・・・・少女漫画だ。 まさかなんでもないただの幼馴染の家でこんなオーパーツを発掘するとは。
「ちょっとぉ。 マンガ見るくらいならマッサージしてよぉ。 っていうかレディーの部屋をあさんな!」
「あ、わりぃわりぃ。 ほやけど、れでぃーさんは変なもん持っとんのぉ。 」
漫画の内容は・・・・一言で言うとどこにでも居る普通の女の子がホタルヘイケのメンバー全員にモテモテという、ありえないほどありえない設定のとんでもなくつまんないものだった。 ・・・・そう言えば、小学校5年と6年の時は由里と同じクラスで、(ごく一部の)男子も女子もこのアイドルグループにきゃーきゃー言ってたなぁ。 男子の方は・・・・もちろん、女子との共通の話題が欲しいというだけで。 オレも、由里と誰が一番格好良いかなど色々と喋っていた記憶がある。
「アッちゃん。 こんな形の体積なんて分からんよ。 」
しばらくノスタルジーに浸っていたオレの意識は由里に呼びかけられて急いで現代にかけもどる。 体積なら積分の話かな。 やっとオレこと田端敦彦先生の出番。 ここはいっちょ格好良いとこを見せて・・・・。
「ん~。 ああ、これはこの形だけイメージするけんいけんのんよ。 ええか、まず半径Rの円柱がここにあるやろ。 そこから、この点とこの点を結ぶ直線を水平方向に広げた面から上をごっそり切り取る。 つまり、円柱の体積を先に出して、後からこの部分を引けばええ。 」
「・・・・全然分からんデスヨ?」
あ、そうか。 う~ん、どう説明したものか。 確かに、文系と理系では同じ「数学」でもやる事は少し違う。 当然と言えば当然で、理系は代数学、幾何学、微積分と、三つの専門数学があり、教諭も別だ。 文系はそれを数学IIBだか数学IICだかで全部ひっくるめてやってしまうのだから、より噛み砕いた説明をしてやらないと、土台が違う分説明すればするほど混乱するだろう。 由里が理系と同じ数学ができるようになってもしょうがない、今必要な内容で教えてやらないと何の意味も無かった。 得意教科だからなんて安易に考えていたけれど、人にものを教えるってすごく難しいな。
オレと由里は期末試験が終わってもなぜかあいかわらずほぼ毎日どちらかの家で一緒に勉強していた。 ちなみに、由里は期末試験で最後の砦は守りきったとだけ言ったが、何を守りきったのかは聞いていない。 まぁ、聞く気もない。
由里の部屋は学習机と小さなちゃぶ台があり、オレと由里はいつもちゃぶ台に向かい合って座っていた。 ふと視線を感じて由里の方を見ると、由里はじっとこっちを見ていた。
「なん?」
「男の人ってネクタイやんなぁ。 」
うちの高校は、紺色のブレザーに灰色のスラックスかスカート、そして男子はえんじ色のネクタイで女子は同色のリボンタイをしている。 リボンタイは、1cm幅のリボンを襟の前のところで蝶々結びにしている。 オレが今の高校に入学したのはレベルがあっていたからなのはもちろんだが、この制服が何ともオレ好みだったからというもの実はある。 この服装によって、可愛い子ちゃんはとびっきり可愛く、そうでない子もそれなりに・・・・話を戻そう。 オレは由里の家に寄る時はいつも一旦家に帰るような事はせず、制服のまま由里の家に寄る。 由里は、土曜など早い時間の場合は私服に着替えるが、平日で部活がある日、途中で寄り道した日など家に着くのが午後5時や6時になる日は制服のまま一緒に勉強する。 おばさんが家に帰ってくる7時にはオレは退散するのがなんとなく暗黙の了解のようになっているからだ。 おばさんはもちろん毎日のようにオレが由里の家に寄る事は知っているが、さすがにボク達いつも一緒に居ま~すみたいな顔をおばさんに見せるのも気恥ずかしい。
「それがどしたんな。 」
「ネクタイしてみたい!」
「は? ああ、ええで。 ほれ。 」
ネクタイを外して由里に渡す。 由里は静かにリボンタイを緩めて外した。 そのしぐさに少しだけドキっとする。
「・・・・ねぇ、どやってつけるん? これ。 」
「そうか、分からんやろ。 貸してみ。 こうやって、こう・・・・あれ?」
相手の対面からネクタイをしめる、いわゆる女房じめというのは初めてで、オレもやり方がこんがらかってきた。
「ええい、いつもと反対やけん分からん。 こっち来い。 」
「は~い。 」
・・・・とは言ってみたものの・・・・これって・・・・。
オレの方に寄ってきて、背中を見せてちょこんと座る由里。 で、オレが後ろからネクタイをしめるとなると・・・・どうしても、その、後ろから由里を包み込むような格好になってしまい・・・・。
「?」
ネクタイをしめようとしないのを不思議に思ったのか、オレに背中を向けたまま首を回してこちらを伺う由里。
「なんちゃでない。 ええけん前向いとれ。 」
ええい! コイツは友達! 女じゃない! 気にした方が負けじゃ! 後ろから手を回し、由里の襟元でネクタイをしめていく。 由里はオレより襟周りが短いので、普段オレがしめる位置と同じにしたら前側がもの凄く長くなってしまった。
「なんか変。 」
「うっさい! もうしめ方分かったやろ! 自分でやってみぃ!」
「アッちゃんうるさい~。 がみがみ言わないでよ~。 ふんだ。 もういい。 」
ネクタイを乱暴に緩めてぽいっとあさっての方に投げ捨てる由里。 か、かわいくねー。
その日、由里の家からの帰り際、玄関先で千佳の事を聞かれた。 千佳とは学年が違うし、1年と2年の校舎は校内で隅っこと反対側の隅っこにあるため、文化祭が終わってからはほとんど顔を合わせていない。
「さみしい?」
「ん、まぁ。 」
由里相手に強がってもしょうがないし、さみしい気持ちも嘘ではないし、今でも千佳の事は好きだと思う。 けど。
っと、オレの思考をさえぎるように、由里が気味の悪い声を出す。
「いひひひひひ♪」
「何やぁ! その笑い方は。 」
「べっつに~♪」
由里の癖に今日はことごとく生意気! ちょっと懲らしめたろうか。
・・・・・・・・・。
・・・・ほんの、いたずらのつもりだった。
・・・・オレは由里を抱きしめていた。
・・・・すぐ、押し返されると思っていた。
・・・・由里は顔を真っ赤にして体を縮こまらせて、目を見開いてこっちを見ながら、それでもされるがままじっとしていた。
「!! っ! ごめん!」
オレは自分がした事が自分で信じられず、慌てて由里から離れた。
「・・・・・・・・。 」
由里は相変わらず固まったままだ。
「あ、あの・・・・ごめん・・・・な?」
「・・・・謝るくらいなら最初からすんなよ。 」
「ん、その。 ん、ごめん。 」
「・・・・・・・・。 」
自分でやっといてなんだけど・・・・死ぬほど気まずい。 だから、口から出たのは意思と反して素直じゃない言葉だった。
「お、お前やって・・・・イヤやないんかよ。 」
「・・・・ほんだら、イヤがった方が良かったん?」
「そ、そーゆー事言いよん訳やないやろ・・・・。 」
あーもう! 違うのに! こんな事言いたい訳じゃないのに!
「・・・・そろそろお母さん、帰ってくるから。 」
「あ、ごめん。 んじゃ、な。 」
「うん・・・・また明日ね。 」
また明日。 確かに由里はそう言った。 あんな事があったのに、あんな事をしてしまったのに。 変わらずに会ってくれるというのだろうか。 今日初めて気が付いたけれど、オレは最近千佳よりも由里の事を考える時間が多くなっていた。
「なんて気の多い・・・・。 」
自分でも呆れる。 そばに居れば誰でも良いのか。
「由里・・・・オレ、お前の事・・・・好きなんかな。 」
布団の中で一人つぶやく。 返事はどこからも来ない。 でも、きっと答えは分かっている。 由里の事が、好きだ。 少なくとも、友達以上、親友以上の感情を持っている。
半年前は千佳の事が好きだった。 好きになった時には、既に千佳は他に好きな男が居て、オレはそれを知っていて・・・・。 千佳に振られて半年経った今また、オレは叶いっこない恋をしようとしている。 オレは由里を好きで、由里は先輩を好きで・・・・先輩は誰か他の女性と付き合っている。
次の日の放課後。 由里は本当に変わらず、2年1組の教室までやってきた。
「アッちゃん! 帰ろ!」
「あ・・・・ああ。 」
由里は変わらない。 こいつにとって、あれはなんでもない事だったのだろうか。 こっちは心臓が飛び出しそうになるのを必死でこらえてるって言うのに。
今日も今日とて相変わらず数学の先生。 オレもオレでそろそろ受験向けに本腰を入れて勉強を始めなければいけない。 けど、由里の事が好きだと気づいてしまった今は、こんな状況で勉強ができる冷静さも度胸も無く。
由里にはお姉さんが居たと思うが、もう家を出て一人暮らししているらしい。 おじさんは当然仕事に行っているだろうし、おばさんも床屋のパートに出ている。 ・・・・今、この家にはオレと由里しか居ない。 それに、由里は家に帰ってからオレを廊下で待たせて私服に着替える時もある。 廊下で待っていると言っても、由里の部屋は鍵がかかっている訳ではない。 オレが所在なさげに廊下をうろうろしている間、扉一枚隔てた向こう側で・・・・由里は・・・・制服を脱いで・・・・。 何考えてんだオレは! 今までずっとそうだったはずなのに、一旦意識するともう何でもかんでも恥ずかしくなってしまう。 また心臓が暴れだして、顔も赤くなっているのが自分でもはっきりと分かる。
「アッちゃん、ここ分かんない。 」
「は、はい! あ、うん。 これはな。 点Oと円Xの真ん中を取るんやけん、(x1+3)/2,(y1+4)/2を円の式に当てはめたらええ。 」
先生。 オレは先生。 そう強く念じ、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「ん~? ん~・・・・。 」
「図ぅ描いてみよか。 円Xがここを通って、ここも通るけん、こんな感じ。 点Oはここよな。 ほんだら円X上のこの点と点Oの真ん中はここ。 同様にこの点と点Oの中点はここ、この点と・・・・。 これを円X上の全ての点でこう、繰り返すと、真ん中に大きさが半分の円が出来よう?」
「うん。 」
「ほしたら、円Xの式からxとyをそれぞれ、こう、円の公式に当てはめて、整理すると。 」
「あ! 分かった! アッちゃんすご~い!」
ぱぁ! っと明かりがついたように輝く由里の笑顔。 あれ、こいつ、こんなに可愛かったっけ? って。
「わぁ! こら! 抱きつくな!」
「アッちゃん格好良い~!」
「あ、あ、あわわ。 お前! バカ! 何しょんや!」
「・・・・昨日アッちゃんだってしたくせに・・・・。 」
「あ・・・・う・・・・。 」
何も言い返せなくなったオレに、由里はさらに追い討ちをかけるかのようにこう呟く。
「・・・・ねぇ、今日はあたしを抱きしめんの?」
「え・・・・ん・・・・それは・・・・。 」
「ねぇ・・・・昨日、何であんな事したん? アッちゃんは、千佳の事が好きじゃなかったん?」
オレは何も答えない。 いや、答えることができなかった。 由里もそれ以上は何も言わず、けれども離れようともしない。 由里の体をそっと両腕で包み込む。 由里は小柄な方だとは思っていたけど、昨日よりも幾分落ち着いた心持ちで抱きしめると、こんなにも華奢で女の子らしかったのかと・・・・。 それに、今、由里は私服なのではっきりと分かる・・・・考えまいとしてもどうしても意識がそっちに集中してしまう・・・・胸がかなり大きい。 腹に当たる柔らかい感触に理性を抑えきれなくなりそうだ。 由里・・・・離したくない、ずっとこのまま抱きしめていたい。 落ち着きを失っていく自分を見つめるもう一人の冷静な自分が、精一杯のがんばりで由里をそっと引き離そうとした。
「ほら・・・・勉強・・・・続き。 」
「うん・・・・。 」
それでも由里はオレに抱きついたまま動かない。 このままじゃ色々な意味でこっちの精神が持たない。
「それとも~~~~今から保健体育の勉強でもするか? うりゃ!」
だから、できるだけおどけた口調で、由里のわき腹をくすぐる。
「あ! あはははは! やめ! くすぐられるん、弱い! バカ! ヘンタイ! スケベ!」
身をよじるようにぱっと離れる由里。 危なかった・・・・でも、もうちょっとくっついていたかったようななんて思ってるバカなオレ。 由里はいつの間にこんな女の人っぽい体つきになったのだろう。 ちっちゃいのに・・・・柔らかくて・・・・ふわふわしている・・・・可愛い。
「アッちゃんて・・・・。 」
「ん?」
「・・・・いつの間に、そんな男の人っぽい体つきになったん? 大きくて・・・・たくましい・・・・素敵・・・・。 」
オレはこの時、生まれて初めて思った。 穴があったら入りたい! もうこれ以上ここに居たらどうなるか分からない。
「あ、そうだ。 今日は用事があったんだ。 だから。 そうだ。 帰る。 帰らんといかん。 」
オレは慌てて筆記用具をかばんにしまい、逃げ出すように由里の家を後にした。
初めて由里を抱きしめてしまったあの日から、由里の家を出る時に由里を抱きしめるのが日課(?)になっていた。 由里もそう思ってくれているのか、玄関まで送ってくれると、オレが靴を履くまで待っていてくれ、そっと体を寄せてきてくれる。 今日も、名残を惜しむように、由里の体を包み込んだ。 由里は本当にちっちゃい。 本人は気にしているようなので口には出さないが、身長も150そこそこだったか、抱き寄せるとちょうどオレのあごの下に由里の頭がくる。 抱きしめ心地が本当に良くて、いとおしい。
由里は、こんな甘えん坊なオレを許してくれる。 でも、本当はこんな事をしちゃいけないとわかっている。 由里は先輩の事が好きなんだ。 これ以上由里に甘えるような、傷つけるような、むさぼるような真似を続けちゃいけない。 でも、やめられない。 やめたくない。 自分勝手なジレンマ。
由里は、由里はどう思っているんだろう。 オレの勝手な期待が入っているかも知れないが、オレに抱きしめられる事を嫌がっているようには見えない。
「ア、アッちゃん。 ちょっと苦しい・・・・。 」
「あ、わりぃ。 」
慌てて抱きしめる力を緩めると、由里は顔を上げてこっちの様子を伺ってくる。 この至近距離での上目遣いは困る。 オレは、由里の目を見つめたまま金縛りにでもあったかのように身を引くことも目をそらす事もできない。
「由里・・・・。 」
次の瞬間、オレは何を思ったのか由里の顔に自分の顔を近づけていた。
ダメだ! これ以上は進んじゃいけない。 お前、由里を傷つけなくないって思ったばかりだろ! 何で由里は逃げない? 由里を、由里の全てを奪い去りたい。 お前、何を考えてんの? 相手の気持ちは関係ないの? 誰にも、あの先輩にだって由里は渡さない。 由里が笑ってたら、お前はどぶに顔を突っ込んでも平気、そのくらい愛してたんじゃないのか? なんでそんなに大切な相手を、お前自身の手で傷つけようとするんだ? 頭が壊れそうになる。 助けて由里、由里。
由里は、少し悲しそうな顔をして、そして、静かに目を閉じた。 それが最後の瞬間。 かすかに、触れ合うように、ためらうように、オレたちは口付けを交わした。
そして今、オレは自分の部屋に一人居る。
やってしまった。 絶対にしてはいけない事を、取り返しのつかない事をしてしまった。
「・・・・気持ち・・・・良かった・・・・。 」
由里の唇は、信じられないくらい柔らかくて、とんでもなく気持ちよかった。 女の子との、初めてのキス。 あの後、由里は何か言ったのか、オレは何か言ったのか、たったの100メートル足らずの道のりをどうやって帰ったのか、どのくらい部屋でぼーっとしていたのか、全然覚えていない。
・・・・由里の気持ちも考えず、自分の欲望だけで由里を汚してしまった。 こんなに悔やむなら、最初からしなければ良いのに。 何度、同じ事を繰り返せば、オレは満足するのか。
コツン、コツン。 ん? ・・・・由里・・・・か? 由里の所属する水泳部は夏のシーズン中以外は学校のプールが使えないため、由里は運動量を減らさないよう夜に近所をジョギングしている。 その時、たまにオレの部屋に小石を投げ、呼びかけてくる。
オレの部屋は二階にあるのだが、家が山の上の団地にあり、一つ上隣が空き地であるため、そこ伝いに部屋のベランダから外にでる事もできるし、外からベランダの柵を越えて部屋に入る事もできる。 ・・・・さすがに由里もそこまではせず、小石を窓に投げつけてオレを呼ぶ。
ガラガラ。 ベランダに出る。 由里は家の前から小石を投げ続けていた。
「由里?」
「アッちゃん・・・・今、いい?」
「あ、ん、もちろん。 ちょっと待ってな。 」
急いで部屋からスニーカーを持ち出し、柵を越えて下に降りる。
「ごめんね。 こんな時間に。 」
「由里がジョギング中にオレを呼ぶんはいつもこんくらいやろ。 」
「うん・・・・ね、今から・・・・うちんく(注:香川の方言で我が家という意味)来ん?」
「え・・・・いや、それは・・・・まずいやろ。 おばさんが・・・・おじさんも・・・・。 」
「今夜、は・・・・その、両親はどっちも居らんのん。 」
「・・・・・・・・。 」
由里・・・・オレは、何を信じればいい? 期待しても、ええんか? それとも、自分からは由里離れができない弱いオレに、きちんと、引導を渡してくれる?
数分後、オレは由里の部屋に居た。 二人きりで。 今は午後10時。 期待と不安が入り混じる妙な空気がオレをかき乱す。
しかし、由里は泣いているのかと思うくらい寂しげにうつむいていた。 しばらく無言が続いた後、由里の方から話しかけてきた。
「あたしね・・・・キス・・・・初めてだった。 」
「・・・・うん。 」
「アッちゃんは?」
「オレも、そう、やよ。 」
また沈黙。
「あたしね・・・・先輩の事が・・・・好き。 」
「・・・・うん。 」
分かってる。 分かってた。 由里の気持ちは知っていたはずなのに。 ほんっとに、オレは、何度同じ事を繰り返せば。 由里を傷つけたという罪悪感、後悔が再びオレの心に満ちていく。
「でも、アッちゃんとよく一緒に居るようになって、どんどん惹かれていって。 同時に複数の男の人、好きになれるような女なんかなって、自己嫌悪に陥って・・・・先輩も、別に好きな人が居て、あたしは横恋慕でも、片思いだけでも良いかなって。 今度はアッちゃんで、アッちゃんも・・・・。 前、急に抱きしめられて、びっくりして、混乱して、でも、イヤじゃなくって・・・・。 あたし、もっと早くアッちゃんと仲良くなってたら、きっと、先輩じゃなくてアッちゃんを・・・・。 」
気持ちがあふれてくるのか由里の独白は止まらない。 オレは、どきっとして、嬉しいけれど、心が痛いような、複雑な気持ちのまま、ただ由里を見つめている。 由里は相変わらずうつむいたまま、ぼそぼそと喋り続ける。
「千佳も。 」
千佳? そう言えばそんな子も居たな。 なんでこんなところで千佳が出てくるんだ?
「千佳も、大切な友達で。 アッちゃんは、千佳を・・・・。 」
「由里!」
違う。 それは違う。 あれはもう、過去の・・・・。 そう言おうとして、オレは何をとち狂ったか由里を後ろから抱きかかえ、顔をこっちに向けさせてキスしようとした。 とたん、由里はオレを押しのけて大声で泣き出した。
「なんで・・・・なんでそんな事が出来るん!? あたし・・・・あたしは、ずっと悩んで、苦しんで。 」
「由里、オレは、由里が好きや。 千佳の事は、もう何とも思っとらん。 」
「嘘だよ!」
「嘘やない!」
「あのね、あのね! アッちゃん、あたしを抱きしめてる時、一度だけ、一度だけあたしを「千佳」って、そう呼んだの。 あたしは、千佳じゃない! 千佳の代わりじゃない!」
・・・・な? 記憶に、ない。 無意識に、オレは、そんな最低な事をしていたって言うのか。 でも、由里にこんな嘘をつく理由はない。 本当にあったから、由里はこんなに傷ついて、苦しがっているんだ。 あまりの愚かさに、自分自身に対する嫌悪感すら感じる。
「由里、聞いてくれ。 オレは、本当に、あの、きっと、そんな失礼な事、したんやろうと思う、それは、その、ごめん、けど、オレは、由里が好きなんだ。 信じて欲しい。 」
「アッちゃん、うう、うええ、うえええ・・・・。 」
泣き崩れた由里をそっと抱きすくめる。 由里は、今度は抵抗はせず、ただ泣きじゃくっていた。
10分? いや、1時間? はたまた2~3分だっただろうか。 オレは、由里が泣き止むまで、ずっと由里の髪をなで続けていた。 次第に落ち着いてきたのか、だんだんと嗚咽の声は小さくなり、体の力を抜いて体重をオレに預けるようにしてくれた。
「アッちゃん。 」
「・・・・ん。 」
「あたし、どうして良いか、分からん。 」
「どうもせんでええ。 ごめん、オレが悪かった。 本当は、ずっと謝ろうって・・・・。 」
「なんで謝るん?」
「由里を、傷つけたから。 」
「・・・・分かんない。 アッちゃんが分かんない。 自分が分かんない。 傷ついたかどうか、分かんない。 」
「由里? 由里! 落ち着け。 」
「分かんない! 分かんないよお!」
言い方を間違ったかなぁ・・・・。 由里はまた泣き出してしまった。 今度は一応オレが後ろから抱きしめているのを拒絶してくるようなそぶりはない。 もう一度落ち着くまで、また由里の頭をなでたり、手櫛で髪をすいたりしていた。
由里は子供の頃は髪が長かったような気がするが、今年、よく喋るようになった頃には既にベリーショートにしていた。 失恋なのかな? なんてありがちで無粋な事を考えたのを覚えている。 今はそこからまた伸びて、ボブカットって言うのか? それの一歩手前と言ったところか。 さらさらで柔らかいってほどではないが、手櫛が引っかかるような事もなく、触っていて気持ちがいい。
「ん?」
「・・・・すぅ、すぅ。 」
こ、こやつ・・・・寝とる・・・・。
・・・・まったく、確かに、色々ひどい事も、傷つけもしたけど、こっちが、悩んで、苦しんで、だよ。 期待していいのやら、諦めた方がいいのやら、こんな無防備な姿を見せられて、男としてはどうしていいのやら。
なす術もなく、次の日の朝、腕の中のお姫様が眠りから覚めるまで、オレはずっと由里の頭をなで続けていた。
「ん・・。 ん・・・・?」
「おはよ。 」
「んぇ? えええええ!?」
「おはようは?」
「おはようございます・・・・じゃなくて! なんでアッちゃんがここに居んの!?」
「私の記憶が確かならば、あなたは私に体重を預けたまま眠りについた。 」
「~~~~!」
「由里の寝顔なんて・・・・ん~、小5の宿泊学習、世島少年自然の家、ん時以来か? ・・・・可愛いかったですよ?」
「バカ~~~~!」
由里の力を込めてないこぶしがオレの胸をポカポカ殴る。 全然痛くないが、自分のさっきのせりふをごまかすように大げさに痛い振りをする。
「わ~! ごめん、悪かった。 嘘、冗談やってばよ。 ほやけど、電気つけっぱで寝られるのね、あなた。 」
「う、うん。 それは、その、必ず何かの灯りはつけて寝てる、から。 」
「なんで? まぶしないん?」
「ん・・・・あの、暗いと・・・・怖い。 」
・・・・暗がりを・・・・怖がる・・・・由里・・・・今、何か心に引っかかるものが・・・・あれは、遠い記憶。
「! あ~!」
「きゃ! な、なに!?」
「思い出した! 由里、お前確か修学旅行で!」
瞬間、由里の顔が真っ赤に染まる。 どうやらオレが何を思い出したのか分かったようだ。
「ダメ!」
「遊園地かどこか・・・・お前、なんかお化け屋敷に入っとって、マジ泣きで飛び出してきた。 」
「ばかばか! そんな事思い出すなぁ!」
「ぴーぴー泣いて、お前、抱きついてきて、他の奴らもニヤニヤしもって離れてってしまうし、こっちはお前もうあやすんが大変やったんぞ。 結局自由時間全部つぶしてお前にソフトクリーム買ってやったり、おもちゃか何か買ってやったり。 」
「やって! やって! あたし、お化け屋敷入るんヤダって言うたのに! みんなが無理やり!」
「いや、それはオレは知らんがな。 クラスちゃうかったし・・・・あれ? 小6ん時って確か私とあなたは同じクラス・・・・。 そもそも小学校の修学旅行は大阪奈良京都で遊園地なんて行ってないような・・・・って、ええ!? えええええええ!? あれってひょっとして中3ん時!?」
「言うな! 言うなぁ~!」
「そうやわ! 修学旅行九州に行った中学ん時や! ハウステンボス(注:スペースワールドの事を言いたかった)やんな。 お前! あんなびーびーびーびーお前、15歳やで? お前、どこのお子様やぁ!」
「14だよ! まだ誕生日来てなかったもん!」
「そんな問題か~!」
わーわーと二人大騒ぎ。 そして、二人ぴたりと黙りこくる。 はぁはぁと息だけ荒い。 しばらくじっとにらみ合ったまま、どちらも動かないし喋らない。
「ふ、うふ、うふふふ。 」
「あは、あはははは!」
急におかしくなり、二人顔を見合わせて笑い転げた。 オレをばしばし叩く由里の手。 その手を握り、由里の体を引き寄せて腕の中に包み込む。
「アッちゃん、あたし、先輩と、アッちゃんと、どっちを好きなのか分かんない。 けど、きっとどっちも好き。 先輩も好きだけど、アッちゃんも好き!」
「由里、由里が好き。 ちょっと情けない話やけど、先輩の事好きでもいいんで、オレの事もちょっと好きでいて欲しくって、できれば、付き合って欲しい。 」
「うん、あの、えと、これからどうなるか分かんないけど、まだ自分の気持ちはっきりとは分かんないけど、やっぱりごめんって、傷つけちゃうかも知れないけど、こんな自分勝手なあたしで良ければ、あたしも、アッちゃんと、付き合いたい。 」
強く、強く壊れそうなほど強く抱きしめる。 由里は苦しそうに顔をゆがませながらも、精一杯強く抱きしめ返してくれる。
由里。 今まで、遠くに行ったようで実はいつも近くに居た、幼馴染の女の子。 忘れていただけで、本当は、いろんな思い出が、あった。 いっとき疎遠になっただなんて、勝手に忘れて勝手に思っていただけ。
由里、今まで、男と女なんて関係なしに、友達で居てくれてありがとう、一番の親友で居てくれてありがとう。
由里、でも、もう、友達じゃいられない。 友達なんて関係では、オレはもう満足できないから。 これからは、可愛い恋人。
お互い、横恋慕してて、お互い、横恋慕だと思ってて、そこから始まる恋があっても、いいじゃないか。
オレは、由里の心を確認するように、もう何があっても離さないと自分の心に誓うように、何度も、由里のおでこを、ほおを、唇をついばんでいた。
~完~